宗像みあれ芸術祭

海を渡る神々とともに、アートで未来をつなぐ祭典

■ 石原稔久×iima | Toshihisa Ishihara × iima

鈴道

| 作品コンセプト

その昔、人々は御守りとして鈴を鳴らしていた。
家族や仲間を想い、奏でた鈴の音が紡いだ道に祈りが寄り添っていた。
「鈴道」は参加者とともに作られる作品です。
10/7のコンサートでは澄んだ歌声とともに鈴の音が響き渡ります。

鈴制作 : 石原稔久

僕の家には一枚の写真が額に入れて飾られている。
その写真は小学生になる前の娘と2人で高宮への参道を歩いている場面。

僕にとって宗像大社は特別な場所だった。
遠方から友人が来た時には必ずと言っていいほど連れていく場所。
そして何度高宮への参道で新しいアイデアや、ヒントが頭に浮かんだことだろう。

そんな大切な場所での芸術祭に参加出来る喜びは大きかった。
実行委員の人達や宗像大社の方々との対話はもちろんのことだったが、僕が向き合うのは歴史、文化、宗教、伝統、そしてなにより宗像大社の神々であった。
そしてそれらと向き合った時、自然と今回の作品のイメージは姿を現した。

その大きな軸となるものが音楽だった。
神々に音楽を捧げてみたい。
僕は迷わず大好きな音楽家iimaの2人に連絡を取った。彼らの音楽と今回の作品のイメージがピタリと合致したからだ。彼らの眼差しは、いつも感謝や、幸せ、畏敬の心に溢れていた。

僕は、ボーカルの永山マキさんの歌声とイシイタカユキさんのギターだけではなく、ライブに参加する観客にも何か音を鳴らしてもらいたいと考えた。

みんなで奏でる楽器のヒントは、すでに足繁く通った宗像大社の神宝館にあった。

鈴。

縄文の時代から鈴は魔除けとして使われていた。古代祭祀には鈴は欠かせないものであったと多くの文献は語っている。

私はこの企画が動き出してすぐに作品のタイトルを決めた。
タイトルは「鈴道」
私には3つの道が重なる交点のようなイメージが浮かんでいた。
3つの道とは、
大陸と日本を結んだ海の道。
歴史や文化を紡いだ時の道
命を育んだ人の道。

鈴はそれらの道を共に歩き、ときに旅の安全を、ときに家族の幸せを、またあるときには神への感謝を。折に触れ鳴り響いた鈴の音を芸術祭に響かせてみたい。それが芸術祭に向かうエネルギーとなり、軸となった。

そしてみあれ芸術祭の作品を実際に作る時期に、僕はもう一つ大切な軸を自分に課すことにした。それは「野焼き」という焼成方法で鈴を含めた作品の大部分を焼き上げるということだった。
縄文、弥生と炎を手にした時代の人類が経験した感覚。熱や煙、空や風。吹き出す汗や喉の渇き。古代の人々も間違いなく感じたそれらのものを私自身が追体験することで生まれる感覚や形。

私は、芸術作品とは作品として完成し芸術祭で人々の目に触れる時間だけではなく、そこに至る行程にも意味があると考えている。
今回の作品はまさに、行程は作品完成への作業ではなく、作品そのものであったと感じている。

思い返すと、多くのクラフトフェアや公募展に応募し落選していた若い時代。
唯一参加出来ることになった千葉のクラフトフェア。写真審査で僕が送ったのは土で作った鈴だった。後に審査員をつとめた方が「あの土鈴が魅力的で合格にしました」と教えてくれた。

ずっと大切に作り続けてきた土鈴。
まるでこの芸術祭のために作ってきたかのようでもある。
鈴の音は大社の森に響く。
小さな鈴の音は世界の大きなうねりにかき消されてしまうだろうか?
僕はそうは思わない。

手を繋いで歩いた娘へ、鈴を鳴らしてくれた子供達へ
祈りを込めた鈴の音は紡がれていく。

| 素材

陶土

| 制作風景

| 作品

| 展示スポット

宗像大社辺津宮周辺

| プロフィール

石原稔久×iima Toshihisa Ishihara × iima
陶芸家×音楽ユニット/福岡

陶芸家・石原稔久と、永山マキ(vo)&イシイタカユキ(g)による音楽ユニット・iimaとの芸術祭期間限定ユニット。
宗像大社に響く鈴の音によって「日常がちょっと違った景色に見えてくる」体験をお届けする。

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